フラット化の世界

フラット化する世界
   印度南部のバンガロールBangaloreに続いて、中国の大連も第3のシリコンバレーと言われている。北京を上回るIT産業の基地で、日本企業も3000社出ている。大学や専門学校の学生数が25万人だ。共通しているのは、IQ(Intellect)よりもCQ(Curiosity)やPQ(Passion)が要求されていることだ。知性よりも好奇心や情熱だ。このことは何もITに限らないで、すべての事に共通して言えることだ。


   2006年出版された本が文庫化されたので再読してみた。2000年前後から、パソコンと光ファイバーを活用したIT技術により、まったく新しいグローバリゼーション時代に入った。個人や小集団がIT技術によって、これまで大企業に独占されていた事業に参画できるようになった。そして、今までは丸かった地球を時差のないフラットな世界に変えつつある。かっては共産圏に属していた東側の諸国や、アジアの発展途上国の国民も、これまで先進国に独占されていたこの輪の中に入ってきた。


   経営者や株主や投資家は、どこから利益があがろうと、どこで従業員を雇おうとほとんど無関心である。 しかし企業の存続は強く求められている。 一方、政治家は特定の場所で雇用を創出しなければならない。 住人はアメリカでもヨーロッパでもインドでも、いい仕事がずっと家の近くにあることを願う。世界がフラット化すると小市民に大きなことができるようになって、ヒエラルキーが均されて、大人物と少なくとも意見交換と言う立場では同等のレベルとなる。


   出版社、書店、古本屋などは流通業も含めて、これまではそれぞれの専門業者の手の内であったが、いまではネットを使って、だれでも個人で参入できるものとなっている。家にたまった本はアマゾンに展示し、教材などは電子書籍で出版して仮想空間にならべて販売する事が出来る。現在、200冊ほどアマゾンに出しているが、平均して週に2,3冊は売れている。目的はあくまでも古書の有効活用で、世話になった書物で儲けるつもりはない。まさにフラット化した典型例だ。