化学の年

世界化学年

   1911年にキュリー夫人(1867~1934)がノーベル化学賞を受賞してから100年目の今年は、2008年の国際連合総会で世界化学年と決定されている。夫人は1903年にも夫のピエールと共に物理学賞を受賞しているから、これは2度目の受賞であった。人類社会のこれまでの発展に対する化学の多大な貢献と、今後の持続可能社会の実現のために求められる化学の重要な役割を記念し、再確認するために、世界中で数多くのイベントが開催されている。


   日本化学会が中心となって、昨年、世界化学年日本委員会が設立されて、各地で様々なイベントが企画され実行されてきている。311の地震津波災害で、一躍、世界中で注目されている原発事故に関連して、あらためて放射線化学に関する催しも新たに企画されている。ポーランド生まれの彼女はパリ大学ピエール・キュリーに出会い、共同で放射性元素ポロニウムラジウムの発見をした。これにより、1903年に一緒にノーベル物理学賞を受賞した。


   その後、夫は交通事故で急死したが、夫の遺志を受け継ぎ、彼女はさらに研究を重ねて、放射性元素の分離に成功した業績で化学賞を受賞した。19世紀末の1895年にレントゲンがX線を発見し、96年にはベクレルが放射線を発表し、98年にキュリー夫妻のポロニウムの発見と続く中で、多くの女性研究者が新分野の放射線研究に足を踏み入れた。


   中でも、カナダ出身のハリエット・ブルックス(1876-1933)はラザフォードの元で研究を続けて、放射線の壊変や反跳現象を発見したが、その功績はオットー・ハーンのものとなっている。同年代の、リーゼ・マイトナー(1878-1968)も、原子核分裂の実験と理論的裏付けを行ったが、やはりノーベル賞とは無縁だった。キュリー夫人の娘のイレーヌ・キュリーは夫と共に、人工放射線の研究で1935年に化学賞を受賞した。今でも化学の分野では女性研究者が世界的にも多い。新物質の可能性はいくらでもある領域である。情報社会であるから、業績は誰に対しても公平に評価されるであろう。