頼りは民間の力

何とかならないか

   1995年の阪神大震災の時の村山首相は、初動が遅いと酷評されたが、自分の能力の限界を知っていたから、早々と「責任は全部負うから、協力してくれ」と閣僚や官僚に頭を下げた。それで、皆が一体となって復旧と復興に取り組み、震災45日で8000戸の仮設住宅が建設された。今回の場合には同じ期間にできた仮設住宅は、僅か600戸だ。補正予算も40日後には成立したが、今回は55日もかかっている。1800億円も集まった義捐金はそのほとんどが、配布されていない。

  

   すでにいろいろと管首相は批判されているが、それは村山さんとの比較で言われているのだ。何でも「私が決めた」という事を前に出すから、閣僚も官僚も手出しを控えてしまう。私が決めたではなくて、「私が責任を持つから、それぞれ存分に力を出してくれ」というのがトップの役割だ。これができない人を、とんでもない時に頭に据えて不幸を被災者は味わっている。


   阪神とは規模が違う想定外の事だと言うなら、なおさら自分の能力を弁えるべきだ。1人で迷走し、原発対策も被災地対策もすべて後手になってしまう。霞が関でも官僚たちは、予算獲得のために、各省庁で次々と委員会や会議を連発してしまい、いまや50もの会議体ができている。その上の、先ずは被災地視察などと、それぞれに出かけるから、受け入れ側では被災者対策どころか、視察者対策に追われる始末だ。


   その他、震災復興会議の議長は、何もプランができていないのに、いきなり復興増税などと消費税アップの事を言い出して、被災地や被災民を蔑にしている。自民党の総裁は、名を上げるには絶好の機会のはずだが、反対するばかりで何も知恵が出せないから、影が薄い。カン政権が倒れるのを待とうと姿勢だ。この未曾有の国難に際して、無能な総理を補佐する人材が出てこないのも不思議だ。最後は民間の力だけが、日本をたち直せる決め手になるように思えてきた。