科学と工学について

科学と技術
   サイエンスという英語に「科学」という訳語を当てはめたのは明治時代の哲学者西周(にしあまね)だ。多くの学問の分野は分科の学と言われていたが、すべてを包括する意味で名付けたようだ。そして西という哲学者が関係しているように、西洋では科学は哲学の一分野を構成していた。幕末から明治にかけて、近代化を急ぐ日本では、兵器、造船、建築、土木などの最先端の技術を西洋から導入する過程で、それらの基礎をなす数学、物理、化学などもすべて含めて、科学技術という言葉が使われるようになった。さらに、もっと実用的な意味を含めて工学という言葉が出てきて、1896年に東京大学には工学部の前身であるという工科大学が誕生した。

   1789年のフランス大革命の後、1794年に設立されたエコル・ポリテクニックは高等理工科学校と翻訳されているが、ここに、様々な分野を表すポリという言葉が使われている。それまでは、鉱山、造船、橋梁などと領域ごとに技術を教える学校があったが、あらゆる技術に共通な数学、物理、化学を教えて、その上に技術を学ばせるという考えである。1804年にナポレオンが帝位につくと、軍事的な色彩がますます強くなり国防省に管轄が移されて現在に至っている。


   明治以降、日本の近代化にとって、科学は富を生み出す源泉として考えられてきた。そのため、哲学の一分野だった科学は技術に従うものとして科学技術という言葉となり、まとめて工学という言葉となった。そして、科学者は既に存在している何かを発見する仕事であるが、工学者はこれまでに存在していなかったものを創造するという使命が与えられた。だから、明治以降、科学者よりも工学者、即ちエンジニア優位が大学でも育てられてきた。


  明治、大正、昭和と続く世のなかで、この伝統は育まれ、1945年の敗戦を契機として、さらに一段と国の発展を支える学問として優遇されて進化した。鉄、車、半導体、ITなどの産業で貢献してきた工学であるが、311の災害による原発の事故をみて、工学者は何か重要なことを忘れてしまったのではないかと思う。それは、自分たちの創造したものには、何か絶対的な誤りはないと言う独善的な過信である。この機会に、あらためて、科学、技術、工学ということについて考えてみたい。