技術は後戻りしない

エネルギー論議

   脱原発とか親原発というイエスかノーの二者択一論議はそろそろ終わりにして、311の大震災後、これから日本をどのような国にしていくのかという議論をすべき時にきている。その中から、今後のエネルギー政策に的確な答えを見出していくべきだ。発電に使われる原子力技術が悪いのではなく、安全神話を推し進めてきた政府と電力会社が糾弾されるべきだ。カン首相は脱原発を唱えるる事で、この事をことさらに隠蔽しているみたいだ。

  

    1966年に初めて東海村に商用原発が動き出してから、現在までに54基の原発が建設された。米国の110基、仏国の75基につぐ数である。その内、20基は第一世代のもので、建設や運転は原子力先進国の米国や英国からの輸入技術にすべて依存していた。事故を起こした福島第一の4基とも基本設計はGEなどの技術で、前から安全性については数々の疑問が指摘されていた。それにも拘わらず、原子力保安委員会は東電側の言いなりに稼働を認めてきた。


  1980年代と90年代には全部で30基の原発が主として国産技術で設置された。これらはすべて安全性を高めた改良型の原子炉で、第二世代と呼べるものである。これらの炉はすべてではないが、福島のように電源がすべて停止しても少なくとも12時間は冷却機能が継続するように設計されている。脱原発と首相を始め多くの識者も言うが、少なくとも第一世代の炉については、その言葉は正しい。


  原発は事故を起こしたら人が制御不能だから危険だというが、どのようなものでも事故を起こしはじめたら、誰も止めることはできない。25年前の1986年8月に日航機が油圧系統を失って、操縦不能となり御巣鷹山に激突した例を見ても、パイロットが駿河湾上空で機体の制御ができなくなり、何とかして羽田に戻ろうと努力した記録が残されている。


  1905年にライト兄弟が初飛行をしてから、106年になるが、今では飛行機が危ないから乗らないと言う人は北の金さんぐらいだ。プロペラ機からジエット機へと技術は進歩してきた。歴史をみると、機体、エンジンとも多くの事故の歴史の上に現在の安全性が積み上げられてきたことが分かる。プロペラよりもジエットエンジンの方が、構造が単純だから故障は少ない。しかし成層圏を飛ぶことで、初期のジエット機である英国のコメット機が何回か墜落した。この原因の究明には多くの時間と労力が費やされたが、疲労破壊ということつきとめて、現在の機体設計の安全性が確保された。


  2000年以降、建設された原発は5基であるが、第二世代よりもさらに安全性を高めたもので、第三世代と呼べるものだ。もとより、安全とコストはトレードオフの関係にあるが、技術の進歩は無限であり、より信頼性の高いものを建設することも可能となる。1基4000億円という巨大ビジネスは、日本の経済にとって欠かすことはできないし、地球環境にとっても有益である事は言うまでもない。