消された長崎の原爆ドーム

戦争の遺跡
  今日は長崎原爆投下日である。戦争の爪後は日本各地に残っている。中でも広島の原爆ドームはその代表的なものである。長崎にも原爆の遺跡が1958年まで13年間は残されていた。それは浦上天主堂の原爆による廃虚であった。長崎の死傷者16万人の犠牲者の鎮魂の史跡であった。しかしながら、この遺跡は米国からの要請で再び破壊され、現在はそこに新たな浦上天主堂が再建されている。マリア像の頭部だけが、その内部に安置されている。
   

  1945年8月9日の原爆投下地点は北九州の小倉市であったが、雲で覆われて機上からは街を見ることができなかったので、次の目標である長崎に向かった。ここも雲が多かったが、僅かに見えた浦上地区に原爆は投下された。被爆の中心地、浦上地区はクリスチャンが多い地域だった。


  当時のアイゼンハワー大統領はこのことを知り、長崎市ミネソタ州セントポール市を姉妹都市として友好関係を醸成して、大量殺人爆弾の痕跡をできるだけ消すことに努めた。その結果、長崎からは天主堂をはじめ多くの原爆の遺跡は撤去されてしまった。この間の経緯は高瀬毅氏の本に詳細に記述されてる。1962年のタイム誌の記事では、広島市には冷たく、長崎市には好意的に記されているという。
*高瀬 毅著「ナガサキ消えたもう一つの原爆ドーム平凡社 \1,680
http://homepage3.nifty.com/kibonoie/bunka.htm