首相を送る言葉

首相退陣

  かっての仲間だった田中秀征氏が「長年付き合ってきたが、彼がどんな世の中をつくりたいのか、何をしたいのかよく分からない」、「鳩山政権で副総理でありながら、総理とは距離を保ち火の粉がかからないように振舞っていた」などと管総理をあからさまに批判している。 


  市民運動から国政を目指したが選挙には3度も落選した。1980年にようやくミニ政党から当選を果たした。市民運動では市川房江氏の指導を仰いでいたが、恩師からは「全く身勝手なわがままな人だ」と批判されていた。この時の習性が首相になっても出ていた。まことに先生は弟子のことを良く見ているものだ。


  いくつかの経緯を経て、2002年に鳩山氏、小澤氏と手を組んで民主党を結成した。カネも力もない管氏は、カネと政治力ではこの二人を頼りにしていた。ところが、この二人は失脚させられたので、あっさりと切り捨てて総理に収まった。総理の椅子の座るまでのその生き方が民主党内でも国民にも見えるから、仲間は去り、支持率は下がる一方だった。


  首相の椅子に座ってから、まるで独裁者気取りで、党内の合意形成もなく、消費税、TPP参加、浜岡原発停止、脱原発など決めようとしてきた。足元にある、より難しい課題に捨て身で取り組む事をしないで、世論受けしそうな政策テーマを取り上げることに熱心だった。もはや、このような政治手法は誰からも支持されなくなってしまった。


  あれほど固執していた椅子を投げ出す決心をしたのは、外国人献金問題と北朝鮮関連団体への寄金問題にあった。国会答弁でも、この問題を野党から追及されると、わけのわからない言いわけに終始していた。もはや逃げ切れないと観念したようだ。有力候補とされている前原氏も同じ問題を抱えているから、たとえ首相になっても長続きはしないであろう。史上最低の首相との評価で官邸を去るのも身から出た錆だ。