伝説となった経営者

Steve Jobs氏を悼む
    1980年代の初め、まだ日本ではバカ高いワードプロセッサーが出始めていた頃に、ある会社のNY事務所へ配属となった。子供たちは日本で1学期を終えてからNYにやってきた。早速に近所の中学校へ行って、入学手続きをした。その時に、担当の先生が教室を案内してくれた。すでにパソコン教室が完備していて、アップルPCが30台ほど並んでいたように記憶している。さすがにアメリカは進んでいると思って、近所のショップに出かけてアップルPCとプリンターを購入した。確か2000ドルほどしたのではないかと思う。1ドルが250円位だったので、高額な買い物であった。   

    このアップル・コンピュータの創設者がS. ジョブス氏で、マイクロソフトのOSであるwindowsのコンセプトをこの時すでに開発して使われていた。その後、この世界では数々の先進的なデバイスを開発してきて、現在のiPod、アップル携帯などを生み出してきた。アップルの名前はアダムとイブが林檎という知恵の実を食べて知恵をつけたことから、「知恵の実を食べる」という意味に由来しているという。彼の情熱はIBMという巨大な体制派への反抗心が生んだものであろう。

    ジョブス氏は独創的な経営者であると同時に優れた営業マンである。彼の巧みなスピーチは新製品が登場するたびに、その話術と演出でアップルファンを魅了してきた。5年前のiPod nanoの発表会では、いつものことながらジーンズ姿で登場して、「ジーンズの小さなポケットは何に使うのか、今まではわからなかったが、このポケットにはこれを入れるためにあったのだ」と語りながら、iPod nanoをポケットから取り出したシーンを見ることができる。

    卒業シーズンでは、卒業生が面白くもない学長のスピーチを聞かされる日本の大学と違って、アメリカの大学では時の人が祝賀スピーチをすることが多い。2005年6月12日にはスタンフォード大学卒業式にて、卒業祝賀スピーチを行い、そこで話した三つの話題「点を繋げる」、「愛と喪失」、「死の意識」は今でも大学では語り草となっているそうである。癌に侵されていながら、次々とジーンズのポケットから新しい夢を取り出す姿はもう見られなくなった。オバマ大統領が異例のコメントを出している。「彼はものの見方を変えてくれた」という。

    最後に蛇足ながら、アップル社は果たして独創的な技術を開発したのか疑問であることもアメリカでは指摘されている。PCの仕組み、カメラのCMOSセンサー、Liイオン電池、液晶パネル、CPU、メモリー、高度な導電性フィルムを応用したタッチパネルなど、基礎技術に関するAppleの貢献は何もないからだ。


http://www.whitehouse.gov/blog/2011/10/05/president-obama-passing-steve-jobs-he-changed-way-each-us-sees-world