家電はどうする

家電メーカーはどこに答えを見つけるか

20世紀型資本主義の終焉

    1960年代の終わりごろ、日本のある程度のカネ持ちの家では冷蔵庫、掃除機、テレビなどの家電製品と言えばGEなどの米国製が揃っていた。もちろん車はGEやフォードの大型車が東京でもかなり走っていた。つまりアメリカは世界の工業製品の供給元で展示場だった。その頃から日本は自動車や家電製品で米国に追い付き追い越せの勢いで、高度成長期を達成した。モノ作りにかけては世界のトップの位置に踊りだした。それだけでなく、素材、半導体、コンピュータ、生産システムに至るまで日本的なものとシステムが世界の最先端にあった。
   

    その中から生まれてきたのが、車ではハイブリッドや電気自動車、テレビでは液晶やプラズマの薄型、カメラではデジカメだった。新技術は高度なもので容易に真似ができないものと思っていたが、そうではなくて、高度な技術はシンプルになり、却って容易に真似ができるものだった。それは部品点数の少なさに象徴されている。電気自動車はガソリン車の5分の1、液晶TVはブラウン管の7分の1の部品点数である。



    画質、機能、耐久性、価格のどれをとっても日本の技術の象徴的な存在と思っていたテレビがついに家電メーカーの足を引っ張ることになってしまった。世界市場を席巻したことから、労働力の安い海外に次々と生産をシフトしたことから技術は容易に流出してしまい、消費者は求める機能さえ満足すれば安価なものを購入するから、日本が考えるより高度なものなどは必要としなくなる。1980年代に米国の産業が陥った状態と同じような状況に日本の産業が入り込んだみたいだ。あらゆるものに国境が存在しないような状況では、20世紀型の資本主義の考え方は通用しなくなる。それぞれの産業は21世紀型の産業思想を形成して行かなければならない。

    IBMと言えば米国では一世を風靡したコンピュータメーカだった。その大型計算機の匡体の色から「ビッグブルー」とえばIBMをさしていた。大型から始まりThinkPadPCに移っていったが、現在ではコンピュータから完全に撤退している。今ではコンピュータ関連のサービス、即ちソフトを提供する企業である。日本の家電メーカーがこれまで培ってきたさまざまな技術やノウハウを駆使すれば、必ずや新たなビジネスを見出していくものと思う。