わが社意識が腐敗を生む

独特のわが社意識

日本的経営の流れ
    大王製紙オリンパス、ゲオなどの企業統治に関する不透明な問題は日本企業全体のガバナンスへ影響する。だからいつも、日本株全体が出遅れてしまう。日本独特の「わが社」意識から脱却する事が求められている。企業は株主のものという会社法の基本に立ち返り、経営統治という基本的な概念を良くかみしめる必要に迫られている。1979年に「Japan as Number One」という書物がハーバード大学ヴォーゲル教授によって出されて、その翻訳は日本でベストセラーとなった。内容は第二次大戦後、驚異的な速度で、質的にも量的にも米国に次ぐ経済大国となった日本的経営の優秀さを称えて、21世紀は日本の世紀とまで断言していた。その後の日本経済の辿った道のりはご存じのとおりである。


 ここで書かれている優秀な日本的経営なるものが、はたして国際的に通用するものかどうかが問われている。最近よく言われる日本売りの根底に潜んでいると考えられる。高度成長期に日本企業の経営陣はどのような考えや指標をみて経営をしていたのかというと、売上高、業界のシェア、銀行などの安定株主の確保、積極的な設備投資、従業員の雇用安定などというものであろう。この裏には会社は自分たちのもので、株主は会社の外の付属品みたいな機関であり、配当金はできるだけ少なくしてもいいという経営思想があったはずだ。ここ数年でこそ安定株主対策ということで、高度成長期と比べると一部の企業では配当金も10倍にもなってきていることに、以前の株主無視の姿勢が表れている。

     しかしながら、M&Aよりも秩序第一、利益の追求よりも安定志向などの発想が根強く残っている。この考え方は戦後、企業発展の中で次のように整理できる。
1.1970年までは低人件費のおかげである。
2.次は高い利回りを要求しない銀行と株式持ち合いにより、資金の調達に対する資本コストは低く抑えられていた。
3.政治も官界もすべてを含めた日本経済全体の相互扶助システムが機能していた。
これらの理由により、欧米企業には実現できなかった低収益でもシェア維持の戦略を進めることができた。オイルショックなどの経済危機に際しても、利益を犠牲にしてでも乗りきってこられた背景である。その裏には良いものを安く作れば勝てるという物づくり優先の発想が根底にあった。こうしてシェアを取っても利益率は上がらず、この体質が現在まで尾を引いている。


    そして、今表面に出てきた経営陣が企業をわがもの顔にする日本企業独特の風潮は、この20年間の低成長でかなり影をひそめていたように思われたが、高度成長期と同様に深く潜行していたことが明るみに出された。このような会計制度にまつわる不正な取引は監査の公認会計士も当然に知っていたはずであるが、企業側に同調して目先の利益にとらわれていたことも想定される。すべては、日本では社員は雇い人であるはずだが、「わが社では」などという発想から出てきているものだ。