負の文化遺産

1945年1月27日

   67年前のこの日は北から進軍してきたソ連軍によって、アウシュビッツ強制収容所が開放された日だ。敗戦を予想したドイツ軍は施設のすべてを破壊して、忌まわしい歴史を完全に消し去ろうとしたが、生存者7500人とかなりの建物が残されて、現在、博物館として保存されている。クラクフ市から南西へ車で1時間ほどのオシフィエンチムに第一収容所、その西側のビルケナウに第二収容所がある。1979年ユネスコの第2回目の登録で、負の文化遺産とされた。
   
   収容者の75%はユダヤ人であるが、それ以外にもソ連軍などの捕虜、反戦活動家、社会からはみ出した者なども含まれていたことを知った。すでに多くの書物や写真集、映画などで紹介されてきているが、訪れてみると、日常的な行事として様々なことが行われていたその存在感には圧倒される。訪問した日は1月22日の日曜日だったが、人影もまばらな風と雪のちらつく日だった。北緯50度といえば、樺太の真ん中ぐらいの所だ。

   映画としては「夜と霧」、「シンドラーのリスト」、「ライフ イズ ビューティフル」などがある。また、福島県白河市には「アウシュビッツ平和博物館」がある。人類の行った忌まわしい記憶はここだけではなく、カンボジアではポルポト政権が200万人、トルコではアルメニア人を150万人虐殺している。広島、長崎の原爆投下も挙げられる。さらに、満州では731部隊満州医科大学で何が行われていたのか、その実態はいずれ明かされるだろう。