時には海や山を見る

時には孤独たれ(1)

   今年の入社組の生まれた年は最も若い人で1990年生まれだ。日経平均の最高値が1989年12月29日の38915円だから、ちょうどバブル景気の最頂点前後の誕生である。現在の株価が9600円前後であるから、生まれてこのかた、株価平均が4分の1となった下降の時期に成長してきた人たちだ。景気全体は失われた20年といわれているが、この間、IT関連のハードとソフトの成長は著しいものだ。その転機となった出来事は、1995年に発売されたマイクロソフトのOSであるWindows95である。それまでのMS-DOSに代わるシステムで、誰でもが気楽にパソコンに接することが可能となった。


   内容的にはアップルではすでに取り入れられていたマウスを使う操作であるが、マイクロソフト社はこのOSにブラウザIE、オフイスなどをつけた形で世に出したから、アップルの影が薄くなった。だから、この1995年はネット元年とも言われる。ちょうど今年の入社組が小学校に入る頃には、親たちが必死になって新しいビジネス道具として、このソフトに取り組んでいた。この頃に企業から大学へ転進したが、その大学でパソコンでも入れて下さいと渡された費用が50万円だった。これで購入したのが、IBMのアプティバとプリンターだったが、もちろんブラウン管の画面で、ハードディスクの容量はMB単位だったと記憶している。



   学生たちはまだ当然にパソコンや携帯電話などとは無関係だった。パソコン設備のある教室は特殊なもので、普通の講義は黒板を使って行っていた。1997年頃には生徒が使えるパソコン教室ができたので、これを利用した統計学の演習教材などを作成した。その頃から、ホームページに代わるブログがアメリカに登場して、簡易HPなどと言われていた。携帯電話のはしりも登場し始めた。今年の入社組が小学生の3年生になっていた頃の話だ。

 
   携帯電話と言えば、1985年頃、NYの国内線の発着するラガーディア空港に朝いくと、携帯電話の貸し出しが行われていた。それは肩からけるバッグみたいなもので、初物好きのNYのサラリーマンたちが1日20ドルを払って肩にかけて飛行機に搭乗していた。今から思えば、あの大きさは電池のサイズで決まっていたと思われる。(つづく)