現在の民主党政権

民主党政権の末路

   「国民の生活が第一」というスローガンで、期待をもって2009年9月に誕生した民主党政権だった。政治主導で日本を変えるという原理主義で、やればできることが実証された。官僚のトップである事務次官会議で決めた政策が閣議に上げられるボトムアップ方式が、内閣主導で各省庁の長である大臣を通して官僚を動かすトップダウン方式に変ったのだから、まさに天地が逆転したはずだった。政権交代は統治方式と予算配分という極めて複雑で簡単にはできない業務が待ち構えていたが、前者は何とかなっても、予算については前内閣の補正予算が生きていたから、これを民主党の政策に沿って変えるだけでも膨大な事務量を要した。

   民主党政権でこのことを熟知していた小澤氏が最初の標的とされて追い落とされ、さらには盟友の鳩山氏も母からの小遣いで失脚されてしまった。こうなると、後は黙っていても、政権交代が潰れていくのは分かっていた。この重要な時期に、民主党には政務に長けた人材が決定的に不足していた。政策決定の理念についても、政治主導という合意を具体的にどのように実現するのかの準備が全くできていなかった。


   これらの弱点を見つけ出して、官僚主導体制の復権を目指した勢力は網の目のように強力で、政権交代をなきものにするのは赤子の手をひねるように簡単なことだった。厚生労働大臣は手綱を握って、意気込んで馬に乗り込み、職員に民主党の選挙マニフェストの携行を命じた。省内では、これに対して様々なサボや抵抗が始まり、その内に、官僚たちに注射された党の幹部からも虚仮にされる始末だった。官僚の中には政権交代に期待した人たちもいたと思うが、司法当局も含めて大部分の既得権益集団は、その守ってきた城壁を壊されたくはなかったはずだ。

   各省庁に配属された大臣・副大臣政務官たちが、夜遅くまで自ら電卓を叩いて予算の組み換えをしていた姿を冷ややかに眺めて、裏では冷笑していた姿が目に浮かぶようだ。民主党共和党で大統領が交替しただけで、役人の3分の1はDCを去っていくと言う米国の方式をそのまま導入するのは難しかったかもしれないが、当初、鳩山氏は各省庁の局長以上はいったん辞表を提出させると意気込んでいた。しかしながら、これを実行するだけの余裕と勇気も失われていた。これで政権交代の芽が摘まれたわけではなく、これからさらに、新しい芽の台頭なくしては日本国の未来はありえない。