原発事故調査委員会報告(8)

原発事故調査委員会報告(8)

原発事故調査委員会報告
   国会事故調査委員会での参考人聴取で、東電と政府の関係者たちは「自分はベストを尽くした」というだけで、責任逃れで言いわけばかりだった。内容はネット上ですべて公開されているから、歴史にも残る発言となるだろう。特にひどかったのは当時の最高責任者のカン首相だ。民間の事故調報告では、首相の過剰介入と暴走と断罪された事に反撃する態度だった。
   


   緊急事態宣言の発令が遅れたことについては、何か理由があって引きのばした事はない。それで支障は特になかった」と開き直った。しかし、宣言の遅れが住民避難の緊急性に影響を与えた事は明白だ。これではまずいと思ったのか、翌日の朝、自衛隊のヘリで斑目委員長と現場へ飛んで、事態の収拾に努めたいと思った事だろう。偉い人が来ると、現場では様々な準備をしなければならないし、事態の収拾に邁進している東電幹部たちの業務を滞らせることにもなる。これに対して「原子炉の状況についての説明が一切なかった。ベントがなぜ進まないのかもわからなかった。現場の見方を知る上で成果は極めて大きかった」と言いわけした。

   圧力容器と格納容器内の圧力が発生する水素ガスで高まり、容器破裂を避けるためのベント言うみたいだが、実際には水素ガスは建屋内に漏れて充満し始めていたのだから、ベントをすべきは建屋だったのだ。首相に対して官邸で誤った判断を入力した専門家がいたはずだ。また、原子炉の状況については、現場は混乱の極みで、現場でもよく状況を把握できていなかった事が、「福島原発の真実 最高幹部の独白」を見るとよく分かる。海水注入についても、官邸から、再臨界の恐れがあるから中止という指令が出されたが、これに対して、「官邸の意向と言う場合、官邸に詰めている東電関係者の発言もある」と東電のせいにした。それも含めて官邸の最高責任者だったのだから、今さらこのような言いわけはすべきではない。

   極め付きは、最後に周到に用意したメモを見ながら「原子力村は今回の事故でも反省はなく、戦前の軍部にも似た組織構造」と演説したが、それは当時の首相が、原子力村を改革することに何もしなかったからだ、という自分自身に降りかかってくることが理解できないのだろうか。それにしても、調査委員会の委員たちも無策すぎるだろう。ここは参考人が持論を展開することではなくて、こちら側が聞いたことだけに答える場だと、どうして釘をさしておかなかったのだろうか。寄せ集められた委員たちの肩書と経歴は立派だと思うが、この種の委員としては全くの不適格な人がほとんどだろう。