世論は新聞が作る

新聞は世論を読む

   首相が一党員と会談するのに、これほど仰々しく報じられたケースは過去にはない。首相が消費税増税関連法案への協力を求めたが、2回も会談して拒否され物別れに終わった。 小沢氏にとって、今は消費増税法案には反対だ。政権交代で先頭に立って民主党政権を作った立役者として、マニフェストを堅持し、行財政改革の優先を主張してきた自らの政治生命が断たれてしまうからだ。これに対してマスコミは、正義の旗手である首相に盾を突く悪者小澤と言う構図で報道している。
   

   新聞は売れないと商売にならない。だからどうしても大衆に阿る記事しか書くことができない。小澤無罪とか原発再稼働賛成とは主張できないのだ。それと同じく、いつの間にか新聞は政府の言う通り消費税値上げ賛成と口をそろえている。これでは、1941年に東条内閣を支持して、日米開戦賛成と書きまくった翼賛新聞と全く同じだ。世論と言うものは報道に影響されるところが大きいから、新聞報道と世論は車の両輪のように同じ方向へと加速し始める。

   東京地検特捜部という検察プロ中のプロが不起訴にした。これを国民の代表という検察審査会が起訴したが、予想通り裁判では無罪となった。判決が出たが、大メディアはあたかも判決は間違いだと言わんばかりの報道をした。無罪というけれど本当は無罪ではない、道義的責任、政治的責任があると新聞は書きまくった。「黒に近い白」などと報じた。やがて世論も新聞が「判決はおかしい」と繰り返すうちに、やはり小澤は悪いと思い始めた。だから「控訴すべきだ」という3人の担当弁護士への圧力となり、控訴しなければならないとなった。
 
  日本は法治国家だ。法で無罪でも、道義的責任はあるし、説明責任や政治的責任もあると一方的に非難する。とにかく、小沢というのは悪い奴だから、無罪になるのはおかしい、と新聞でもテレビでも報じているのだ。原発再稼働も同じで、世論はどうも再稼働に反対しているから、新聞は表に立って原発賛成とは言わない。部数が減ると困るからだ。

  言うまでもなく電力は産業のコメだ。これを安全で安定供給ができないようなら、行政リーダーは失格だ。このような単純な事は議論の余地はない。どんどん関西から逃げ出す製造業をまじかに見て、大阪市長は最後の土壇場になって漸く理解したようだ。原発の安全チェックは全電源喪失状態になった時、5時間以内に冷却水を復旧できるかどうかだけだ。最後に付け加えると、再稼働の決定権を法律上付与されているのは首相ではなくて、経済産業大臣だ。民主党政府は決められた法律に従って運営しないと、再び311のようなドタバタ劇を繰り返すことになる。