検察組織で何が

秋霜烈日 検察

    検察の暴走が次々と明かされてきている。起訴されたら有罪率が98%という値が欧米の60%と比べても、その異常さは明らかだ。起訴されなくても、市民がする強制起訴と言うのも法治国家にあるまじき制度と思う。そうかと思うと肝心なところで、警察が犯人を取り逃がすヘマも目に立つ。最近の西松事件から陸山会小澤氏潰し、郵便不正では村木局長事件などから類推すると、検察内部での組織防衛に絡む腐敗はかなり進行していると思われる。いずれも検察と記者クラブとが連携している所に問題の根の深さを伺うことができる。このような退廃ぶりは今に始まった事ではなく、1995年以降でも、武富士疑惑、調査活動費問題、三井環事件、日経手形乱発事件、読売脱税事件、則定スキャンダル事件など数え上げればきりがない。


   陸山会事件の田代検事の報告書の内容全体が実際の取調べ状況とは全く異なっており、凡そ「記憶の混同」などという弁解が通る余地はないことが明らかになった。小川前法相の退任会見での「指揮権発言」の中でも、「報告書全体が虚偽であり記憶の混同の弁解は到底通らない」との指摘を行っている。指揮権発動には至らなかったが、政府としても黙って見過ごすには、ゆゆしき事態が起きているものと思う。検察組織内で証人尋問前に検討が行われ、少なくとも、特捜部や東京地検幹部の了承の下に法廷で「記憶の混同」と説明することが了承されたはずだ。それが偽証ということになると、広範囲の検察幹部が偽証について責任を問われることになる。これは、現在の検察組織にとって致命的な事態だろう。