日韓併合の真実(2)

日韓併合の真実(2)
   1910年以前は、ほんの一握りの貴族(両班)が庶民(白丁)をまるで人間扱いしないで搾取していた。前近代的な農業以外の産業もなく、鎖国状態で輸出品は、封主国である支那への女性献上だった。このような極貧国なので欧米列強は植民地の対象にもしなかった。そのような国を日本が併合した理由は、放置すればロシアが南下してくるからだ。

   併合には日本でも国論が割れていて、最大の反対者は伊藤博文だった。韓国は1909年10月に、日韓併合に反対する伊藤博文を暗殺した。韓国は国をあげて、日本の総理を暗殺してまで、日本との併合を望んでいたのだ。韓国最大与党の一進会が韓日合邦を要求する声明書を出した。

   このような状態だから、日韓併合は欧米諸国から嘲笑された。対等合併なら、すでに日英同盟ができていたから、英国も韓国と同列になるからだ。やがては、列強諸国から「日本に韓国の面倒をみさせるべし」となった。欧米の白人国家が有色人種を支配するのが常識の時代だ。 国力のある国家が、そうでない国家を支配するのは当然だった時代だ。

   それどころか、米英伊仏独は日本に韓国支配を迫った。日本は欧米との外交上、韓国の面倒を見ざるをえない方向に追い込まれたのだ。韓国内に古くからある不条理な刑罰や牢獄制度を廃止させ、言語を統一し、5000校の小学校を作り、240万人を就学させ、道路をつくり、鉄道を敷設し、上下水道などのをインフラを日本のカネで整備した。併合から14年後の1924年には京城帝国大学まで創設した。